多くのフランス人に感銘を与えたダニエルおばあちゃんの言葉

フランスと日本、都会と田舎、中上級階級と庶民など、さまざまなはざまで生きてきた境界人であるため、他の人と違う視点を持った著述家として活動しています。コラム執筆などの依頼も請け負っております。

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フランスの日常
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テロ後のインタビューでは

で紹介した親子以外に、

もう一人、

フランス人の心を揺すぶり、

ネット上で大人気になった方がおりました。

元弁護士、ダニエルおばあちゃんMamie Danielle 77歳

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BFM TVのインタビューに答えたダニエルおばあちゃんの言葉

亡くなった方にお花を持ってくるのはとても大切なことです。

ヘミングウェイの「移動祝祭日」を何回も読むことはとても大切なことです。

私達はとても昔から文化を持ち、私達は最高の価値をもたらします。

私達は、おとなしく自由に自分たちの宗教を実践している500万人のイスラム教徒と仲良くし、そして、アラーの名もの元に戦う1万人の野蛮人とは戦うのです。

この言葉に感銘したKarim Boukerchaさんが、ダニエルさんに花束を贈ることを提案。Twitterで呼びかけ、#DesFleursPourDanielle というハッシュタグもできました。

そして、ついにKarim Boukerchaさんは、ダニエルおあちゃんに花束を届けることに!

なんと、ネット上の呼びかけで集まった総額は

記事を書いてる現時点で15503ユーロ

そこでこれを全部お花と言う訳にもいかないので、200ユーロ分だけ花束として渡し、残りはダニエルさんが選ぶアソシエーションに寄付してもらうことになりました。

ダニエルさんは、複数の福祉団体に属していろんな人のために精進されておられます。

例えばパリ在住のヴァイオリニスト千々岩英一さんが代表を務める医療協会では、ダニエルさんは副代表を務める方でもあるようです。

↓ダニエルおばあちゃんのお言葉の動画はこちらをどうぞ♪
http://www.bfmtv.com/

その後の番組でも、素晴らしいダニエルさんの姿が浮き彫りに!

↓人気が高まった後に受けたインタビューはこちら。ほんとご立派な方です。
http://www.bfmtv.com/

ヘミングウエイの移動祝祭日

ところで、ダニエルさんのお言葉に出てくる、ヘミングウエイの「移動祝祭日」と言う本ですが、フランス語では「Paris est une fête」英語のオリジナル名は「A Moveable Feast」と言う本で、ヘミングウェイが過ごした1921年から6年間、22歳から27歳のパリでの出来事が書かれています。

本の冒頭では、

「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」

と言う言葉が飾られ、この言葉が題にもなっているのですが、ヘミングウエイにとってパリでの生活は、おそらく人生における祝祭日のような素晴らしい日々だったのでしょう。

1920年代の新しい芸術が生まれようとしているエネルギーに満ちた都市パリ。一心不乱に執筆活動を行ったパリ。当時の時代の先端を行くアーチスト達との交流の日々。

良き時代のパリの姿と、そこでの生活がが生き生きと描かれている素晴らしい作品ですので興味ある方はどうぞ♪

移動祝祭日
アーネスト ヘミングウェイ

ヘミングウェイは1921年から6年間、22歳から27歳という最も多感な時代をパリで送った。「もし、きみが、幸運にも、青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、それはきみについてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ」これは彼が友人に語った言葉だが、それがそのまま遺作の本書のタイトルとなった。サン・ミシェル広場のカフェで、カフェオレを飲みながら、黙々と小説を書くヘミングウェイ

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