本当の江戸時代の日本人の姿が見えてくる本「日本1852: ペリー遠征計画の基礎資料」

フランスと日本、都会と田舎、中上級階級と庶民など、さまざまなはざまで生きてきた境界人であるため、他の人と違う視点を持った著述家として活動しています。コラム執筆などの依頼も請け負っております。

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紹介する度に、結構大きな反響がある本なので、ブログでもとうとうご紹介♪

なんと、あの黒船で日本を開国させに来たペリーが、日本に来る前に参考にしたという資料

日本に滞在したいろんな国の外国人が書き残した記録をまとめた本があるんです。

ときどき、あれっ?と思う点はありますが、驚くほどに日本の気質や歴史が正確に書かれています。これを見て日本を研究した上で作戦を練って開国させたかと思うと、深く考えさせられます。

現時代に書かれたような本は、極端な話や楽観的な話が主で、日本人が歪められて描写されていることが多い中で、この本は、江戸時代の頃の混じりっ気のない日本人の姿が見えてくると言う点でとても興味深いのです。

今ある日本の教科書も、修正した方がいい部分があるのでは?と思えるぐらい。

19世紀の外国人から見た日本の姿ということで、むしろ客観的に日本が見えてくる一冊。歴史好きも、初心者も、「海外生活の中で日本人とは何か?」と考えている人にも、とてもおすすめの本です。

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日本1852: ペリー遠征計画の基礎資料

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チャールズ・マックファーレン

ペリー来航前に大英帝国の歴史学者が書いた「オール・アバウト・ジャパン」。 米英が恐るべき精度で日本のことを把握していたことがわかる最重要資料の初の全訳。

この本の第一章には、多くの外国人が書き残した文で、失敗することは自害につながることや、とても外国人に丁寧に扱ったとか、性に関してだけは日本はとても奔放で有力者は妾も多いなど、まあよく言われることですが、その時の空気と言うか雰囲気が十分わかるように書かれています。

その他にもスペイン・ポルトガルの帝国主義的植民地政策。東アジアを巡る利権の争い。カソリックとプロテスタントの確執。出島を舞台にうごめく政治的かけひきなどが描かれています。

その中でも一番「あっ」と思った部分は、なぜ日本は鎖国に踏み切ったのか、と言う点。そしてキリスト教の禁止

日本の学校で行われる日本史の授業や教科書すら、キリスト教を禁止されることを悲劇として扱うことが多いものの、事実はどうだったのかが理解できる資料なのです。

そう、キリスト教が日本であまり根付かず、最終的に踏み絵させられるほど嫌われ、宣教師が追い出される結果になったのは、それもこれも

宣教師の行動が目に余るもので

日本人の気質としては、受け入れがたかったと言うことが克明に理解できることでしょう。

宣教師の横暴さ

最初に、宣教師が日本に着いた時は、外人に親切な日本人と知識レベルの高いポルトガルの宣教師はそれなりにうまくやっていたことは間違いありません。しかし、あまりにも多くの宣教師を連れて来て布教に熱狂するポルトガル人達。そして金に溺れる宣教師。

日本キリスト教徒も、宣教師たちの布教への意気込みには感心しながらも、彼らが見せる金銭や土地の執着には呆れている。宣教師はあまりの自尊心のためか、この国の最上位にいる武士たちにさえ横柄な態度を見せた。p55

自分達がまるでまるでローマ法王かそこの統治者のようにふるまう宣教師が、位が高い武士がそこに居ようとまるでそこに居ないかのように立ち振る舞い、立派なかごに自分を乗せて運ばせようとする姿などが見られたそうです。

威張り散らす高慢ちきな態度がポルトガル人たちへの憎しみに繋がり、結局そのことで命を失う者が出てきたのだった。鼻持ちならない虚栄心と強すぎる自尊心。それに加えて無礼な振る舞い p54

憎しみはその後、流血沙汰へとつながっていくことに。

どう考えても、この本にも載っている日本人の気質を考えると、こういった宣教師の行為は、日本人が許せる行為ではなかったと思います。

例えば、日本人の気質の紹介で、こういったものがあります。

日本人が横柄で不躾な受け答えをすることはまずない。彼らは攻撃的で口汚い人を軽蔑する。そうした人々のもとで働くことさえ拒否するのだ。p307

こういった気質を考えると、横柄で不躾なポルトガルの宣教師は日本人に次第に拒否されていくことが十分理解できます。

日本人は礼儀正しく好感が持てるのだが、戦になると勇敢である。仁義が重んじられ、それに違反する者は厳しく処分されている。礼節によって統治されているといってもいいくらいだ。この国より礼節が重視されている国は他にないだろう。神にを敬うことには熱心である反面、多様な考えを持つことには寛容である。p52

日本はとても礼節を重視する国でありましたが、同時に日本は世界でも類を見ない寛容な国でした。

日本には、その当時宗教だけで12宗派も合わせると35もの別々の思想が存在して共存している、世界で一番寛容な日本人なゆえ、最初はキリスト教も13番目の宗教としての日本に入ってくることを許したのです。

なのに、そのキリスト教徒は他の宗教が存在することを許すことなく、しかもほっとくことなく、当然のように日本の神仏を破壊すると言う挙動に出ました。

宣教師たちはあまりに過激にこの国の伝統的な偶像崇拝の風習を攻撃した。・・・キリストの教えを信じなければ永遠に地獄で苦しむと脅かすだけではなく、仏教の僧侶を侮辱し、仏像を壊し、寺を破壊することまでした。これがキリスト教徒の迫害に火をつけたといってよいだろう。p56

キリスト教を広めるために、ことごとく日本の仏像や寺を破壊する宣教師達。

仏像の破壊と言えば、つい最近起きた福岡県での話を思い出します。2016年の12月に地域神社や寺院など約22ヵ所で総計119体の地蔵、仏像が破壊され、韓国国籍で住居不定・無職のチョン・スンホという35歳の男が福島県警白河署に逮捕されました。もう住民どころか日本中の人が怒りを感じたのです。

多くの人が宗教心もそれほど薄れてきた現在でもこれをどの怒りを買うことなのですから、現在より神仏がもっと身近であった江戸時代でこんなことが起これば、日本人の怒りは現代以上に強烈な燃え上がり、腹が煮えくり返っていたことでしょう。

カトリックとプロテスタントが戦うヨーロッパでは普通のことだったのかもしれませんが、寛容の国日本では、絶対やってはいけないことだったのです。礼節によって統治されていると言われた国で、その礼節を欠いた行動をしたのです。

この件は、フランスの哲学者であり、作家、文学者、歴史家であるヴォルテールのところにも耳に入っていました。

フランスのヴォルテール

当時フランスでは、宗教が12もあった日本とはまったく事情が違っていました。同じキリスト教でありながら宗派がカトリックとプロテスタントの2つあるだけで双方の間で争いが続いていたのです。

そんな中1762年にトゥールーズで起こったカラス事件は特に有名。

カトリック・プロテスタント間にいまだ宗教的な対立感情が激しかったことにより起こった免罪事件で、話を聞いたヴォルテールが親子を援助して、無罪を勝ち取るこよに力を尽くした事件でもあります。

その運動で中心となった本が『寛容論』不寛容をめぐる一般的な宗教的議論をまとめたこの本であり、現在でも読み継がれる名作です。

そんな『寛容論』の中に、こんな記述があります。

日本人は全人類中もっとも寛容な国民であり、国内には穏和な12の宗教が根を下ろしていた。イエスズ会士がやってきて13番目の宗教を樹立したのだが、しかしすぐに他の宗派を容認しなかったために、ご存じのような結果を招いてしまった。
・・・
日本人は外の世界に自国の門戸を閉じ、イギリスの手によってブリテン島から一掃された手合いと類の野獣のごとき存在としかわれわれヨーロッパ人を見なくに至った
p42

日本人は、日本で行われた宣教師の行為から「ヨーロッパ人=野獣」と考えるようになっていたのです。そしてこのことはこの当時ヨーロッパの知識人の中では知られた話しだったことがヴォルテールの記述からうかがえます。

また、『日本1852』によると、その後、ポルトガルの宣教師を日本から追い出すのに力を貸したオランダ人達ですら、同じヨーロッパ人なら本質は同じと日本人は信じず、長崎の出島で商売するには、キリスト教を信じてないことを証明するために「踏み絵」をさせられていました。そのことをヴォルテールがあざけわらっていたそうですが、実際はオランダ人はプロテスタントで、踏み絵することはまったく問題なく平気で踏んでおり、中には楽しんでいる者もいたそうです。

寛容論
ヴォルテール

新教徒が冤罪で処刑された「カラス事件」を契機に、宇宙の創造主として神の存在を認める理神論者の立場から、歴史的考察、聖書検討などにより、自然法と人定法が不寛容に対して法的根拠を与えないことを立証し、宗教や国境や民族の相異を超えて、「寛容(トレランス)」を賛美した不朽の名著。

日本人と西洋人との違いがハッキリ現れる点

では、そのヨーロッパ人とはどんな気質を持っていたのか?

『日本1852』の中に現れる、日本人に対しての描写から少し得られる情報があります。

日本の男性も態度が立派でマナーが洗練されている。それは身分の高い者だけの特徴ではない。一般人にも、喧嘩が早かったり大法螺を吹いたり。不快になるほどだらしない者はまずいない。p306

要するに、日本とは違いヨーロッパでは「喧嘩が早かったり大法螺を吹いたり。不快になるほどだらしない者」が見られるから、日本で見られないことが新鮮に映ったのでしょう。確かに現在のヨーロッパでもそういう人を見かけることがあり、それが日本と違うことだと感じることが度々あります。

「私は日本人の顔を注意深く観察したのだが、誰一人としてロシア人に対して嘲りや憎しみの表情を見せている者はいなかった。私たちを見下すような、あるいは嘲るような行動は全くなかったのだ」p87

ヨーロッパでは「見下すような、あるいは嘲るような行動」する人が居た言うことのようです。それは現在のヨーロッパでもあり、確かにその点は日本と違うことだなと思います。

粗暴で乱暴を働いたり、大法螺を吹いたり、陰口を叩くことをひどく軽蔑する。嘘をつくことは許されない。概してやさしく親切な民族だ。p327

これは断定できませんが、「粗暴で乱暴を働いたり、大法螺を吹いたり、陰口を叩く。嘘をつく。」と言った人がヨーロッパではよくいるのでしょうか?

フランスで何か言うと、それが真実でもフランス人が知らないことだと

「また嘘を言って」

と言われてビックリすることがよくあります。そんな風に平気で嘘を言う人がいるのかしら?と思ってしまいますが、日本でも陰口や大法螺や嘘をつく人なんていると思うのですが、大抵は本当のことを言っているから疑うことはあまりしないのが日本の日常。ヨーロッパでは嘘を言う頻度は日本より多いのかもしれません。

嘘に関しては他の記述もあります。

日本人は誇り高い民族であり、騙したり、横領したり、盗んだりする行動をひどく軽蔑する。この点が支那の人々と全く違う点だと言える p300

少なくとも、日本人は、他のアジアでより嘘をつく習慣はなかったのだなと読みとれます。

またこうした記述もあります。

こうした気質を持つ日本人は、我々が軽蔑する他のアジア人とは全く異質である。この国を訪れた西洋人の誰もが、日本人のこうした男らしい行動を評価している。p326

日本人の忠義を尽くすなどの行為は高く評価されていて、他のアジアとは一線を画していたようです。

日本の女性は世界で一番魅力的でエレガント

当時の日本の女性は、とても素晴らしかったようです。いろんなところにその記述があります。

例えばこれ

「日本の女性はなんとも言えない自然な優美さを持っている。私の見る限り、世界で最も魅力的でエレガントな女性達だ。少しばかり風変りなところを矯正すれば、英国の宮廷だろうがヨーロッパの宮廷だろうが、一度連れ出すだけで彼女たちは憧れの的にんるだろう。日本のちょっとした風変りなところも、しばらく暮らせばすぐに慣れてしまう程度のものだ。」p306

まず、2回も繰り返されている「日本女性の風変りな点」と言うのがいったいなんなのかが気になりますが(笑)とは言え、世界の女性に比べて、当時の日本の女性は「世界一魅力的でエレガント」だったのです。

そんな魅力的な女性が、美しい日本の風景の中で優雅に遊ぶ姿がとても気に入っていた者も多かったようです。

春が来ると今度は野外遊びが始まる。最も人気があるのが船遊びだ。・・・こうした楽しみ方ができるのは日本の気候の穏やかさと景観のよさの賜物と言える。言ってみれば日本はニース(フランスの地中海沿岸のリゾート地)の温暖な気候とルガーノ(スイス南部のイタリア語園の都市)の素晴らしい景色を併せ持っているからこうした遊びが可能なのだ。p305

フランスやスイスのリゾート地に引けを取らない気候と風景の中で、エレガントな女性達と優雅な遊びができる。

それでいて、日本は女性への差別も少なく、帝位についてきたことについても記載されていました。

女性差別があたりまえのキリスト教社会ではなかったことが、日本ではあたりまえにあったことは驚きだったようです。

ペリーによる開国によって変わっていった日本

まあ、そんな感じに、歴史で習ったことが、事実としていろいろ描写されていて、その当時の日本が克明に見えてくるわけです。私は、上記の点に驚いたわけですが、読み手によって感心してしまう点はみんな違うはず。

そして、この資料を読むことにより、日本に来る前から日本の詳細を把握し研究していたペリー。そして黒船にのって日本に開国を要求してから、日本は大きく変わっていきます。海外との大きな戦争も始まったり、海外の思想が入り女性の立場が弱くなったり。。。。。

いろんな思想の混入、敗戦を経て、日本の本当の姿が見えなくなりつつある現代。この本を読むことによって、まだ戦争などのバイアスがかかってない、江戸時代のピュアな日本の姿を見ることにによって、何か感じるものがあればいいなと思います。ぜひ、ご自身が読んで、ご自身でそんな日本の本質である、江戸時代の日本の世界を感じ取ってみてください♪

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チャールズ・マックファーレン

ペリー来航前に大英帝国の歴史学者が書いた「オール・アバウト・ジャパン」。 米英が恐るべき精度で日本のことを把握していたことがわかる最重要資料の初の全訳。

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