海外のファッション現場はモデルを完全に「モノ扱い」/冨永愛

フランスと日本、都会と田舎、中上級階級と庶民など、さまざまなはざまで生きてきた境界人であるため、他の人と違う視点を持った著述家として活動しています。コラム執筆などの依頼も請け負っております。

ulalaをフォローする
悔しさをバネにする 海外で強く生きるヒント
この記事は約5分で読めます。

はーい(^O^)/Ulalaです♪今日の調子はどうですか?

先日、日本で働くロシア系のモデルさんが、「日本ではモデルが人形や機械のように扱われることはなく、人間としてとても丁寧に扱ってもらえるというのです。」といっている記事を見つけて、( ゚д゚)ハッ!としました。

あー!それ、日本のトップモデルの冨永愛さんも、反対バージョンで、海外のファッションの現場では完全に「モノ扱い」って言っていた

スポンサーリンク

人間としてとても丁寧に扱ってもらえる日本

ロシア系モデルさんの記事はこちらです↓

やつらはモデルのことを人間だなんて思ってやしない

17歳からパリコレをはじめとするトップモードの最前線で活躍してきた冨永愛さんも、自伝とも言える本の中で、海外の現場は完全に「モノ扱い」されると書かれていました。しかも、差別付き!

冨永愛
冨永愛

ひとことひとことの冷たさが、突き刺さってきた。
「歩いて」「止まって」「回って」「はい終わり」
人に何かを言うときに、こんなにトーンのない言い方をするなんて、海外のファッションの現場以外にあるんだろうか。
完全に「モノ扱い」。
やつらはモデルのことを人間だなんて思ってやしない。
でもそれが、ほかのモデル全員に、ってわけじゃないから、よけいに腹が立つ。
それまでほかのモデルと笑顔でやりとりしていたのに、わたしの番になったとたん、急にムスッとなる。
差別だ!
わたしにとって、すべてが敵だった。

チクショー。
ぶっ殺してやる。
チクショー。
今に見ていろ。

絶対に、トップに躍り出て、あんたたちを見返してやる!

引用元 Ai 愛なんて 大っ嫌い

日本は人間として扱ってくれるけど、海外では違うんですね。

まあ、でも、その話は一端ここに置いておきますが、

この点はとても重要なので、繰り返します。

チクショー。
ぶっ殺してやる。
チクショー。
今に見ていろ。

ですよ。この意気込みですよ!!

あれだけ、身体的にはモデルとして恵まれていそうに見える冨永愛さんも、このぐらいすさまじい葛藤の中で戦ってきていたのです。

いや、普通にフランスや海外で何か成し遂げようと思ったら、このぐらいじゃないとダメでしょう。

この言葉を聞いているだけで、何か、元気づけられるものを感じます。

このすさまじい怒りと復讐心がいっぱい詰まっている、愛と自分自身を探し続けた半生の物語がこちら↓

Ai 愛なんて 大っ嫌い
冨永愛

2000年代、世界のランウェイを闊歩したトップモデル、冨永愛がはじめて語る、愛と自分自身を探し続けた半生の物語アジア人への偏見の中、怒りだけをバネにのし上がっていった二十代。

そして、その他にも、この本を読むと

冨永愛さんが、フランスでもろいろ葛藤していた姿が垣間見れます。

見た目だけがものを言う世界

冨永愛
冨永愛

ただでさえモデルの寿命は短い。二十代半ばで引退する女の子たちがほとんど。
それはそうだ。モデルは、いかに服をきれいに見せられるかという職業。フランスでは、モデルのことをずばりそのままマネキンと言う。マネキン人形のマネキンだ。
見た目だけがものを言う世界

引用元 Ai 愛なんて 大っ嫌い

日本のマネキン人形は、フランス語から来てるのは間違いないと思います。洋服着る人がマネキンなんですね。

アジア人という枠を押し付けられる海外の日々

冨永愛
冨永愛

でも、当時、三大コレクションに出るアジア人モデルは、わたししかいなかった。欧米人の中に混じってひとりで闘うというのは、想像以上に過酷だった。
「愛は、これ。アジア人には、黒よ
いつも、わたしに回ってくるのは、黒い服だった。
「ルイ・ヴィトン? 何言ってるの。アジア人のあなたに、似合うわけないわ
「あそこは、あなたの出るブランドじゃないの」
わたしは、冨永愛である前に、アジア人だった。
いつもいつも、アジア人という枠を押し付けられて見られた。
そして、その目は、決してあたたかいものではなかった。

引用元 Ai 愛なんて 大っ嫌い

アジア人のレッテルのオンパレードで、ほんと読んでいるだけでイライラしきますね。

そう、このアジア枠から抜け出せないのが本当につらい。しかもうちの近辺なんて、アジア人は「レストラン」で働くのがフランス人にとって普通なんです。反対にレストラン以外だと変な顔されたりしたこともあります。このイメージを押し付けられて語られると、本当に嫌になってきますし、コンチキショーって気持ちになってくるので、ほんとに冨永愛さんの気持ちがわかります。

そして、本当に厳しい世界で実績を上げてきた冨永愛さんの心に残る言葉の中でも、この一言が一番好きです。

冨永愛
冨永愛

当時の私のモチベーションは、「勝っていくこと」海外でモデルの仕事を始めると、私と同じような体型の人が多くいて、そこでアジア人が勝負してどう認められるのかを試したかったんです。アジア人だからという理由で、勝負にならなかったり、あからさまに避けられたりすることも多く、そういう悔しさをモチベーションに、楽しんでいたのだと思います。引用元 forbes japan

海外でトップのモデルとして使ってもらうために、いろいろな壁を乗り越えていかなくてはいけません。その日々には、悲しいことも、悔しいことも、むかつくことも沢山あったでしょう。

でも、それを糧にする。悔しさをばねにする。海外で生き、なんとか成功していくには、卑屈になっていてもしょうがありません。全てをバネにして前進していくのみです!

アジア人だからという理由で、勝負にならなかったり、あからさまに避けられたりすることも多い。でもそういう悔しさをモチベーションに、楽しんでいきたいです(^^♪

少しでも助け合いながら、一緒にがんばっていきましょうね!!

では、では、また明日(^^♪

コメント

タイトルとURLをコピーしました