「幕末に来た外国人が日本は子供の天国だと驚いた」前編【18~19世紀ごろのフランスと日本の子供の育て方の違い】

フランスと日本、都会と田舎、中上級階級と庶民など、さまざまなはざまで生きてきた境界人であるため、他の人と違う視点を持った著述家として活動しています。コラム執筆などの依頼も請け負っております。

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「幕末に来た外国人が日本は子供の天国だと驚いた」前編【18~19世紀ごろのフランスと日本の子供の育て方の違い】 日本の文化・習慣を知る
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はーい(^O^)/Ulalaです♪今日は、幕末の日本の子供のお話!

この4,5日ほど、体調を崩していてブログの更新ができていませんでしたが、やっと本調子が戻ってきたのでまたブログ更新再開していきます(^^♪

体調悪い間なにしてたかというと、この↓『職業別 パリ風俗』を読んでいました。

職業別 パリ風俗
鹿島茂

バルザックの《人間喜劇》に代表されるように、19世紀フランスほど、人間の欲望や本質が剥き出しになった面白い社会はないだろう。現代の日本における「女子高生」(JK)のように、当時のパリにおいては「お針子」たちが男性たちのファンタスムを掻き立てる欲望のアイコンであった。

著者の鹿島茂さんは、フランスの文学からの視点で、かなりマニアックに当時の人々の様子を美化することなく詳細に浮き彫りにしていて、とても面白い本となっています。

その中の「人乳市場」という章が、当時のフランスの母親が子供を預ける事情などが書かれているのですが、エリザベート バダンテールの『母性という神話』で語られていることと併せて考えるととても興味深かい!

そして、その様子を想像していくと、なぜ、幕末に日本に来た外国人が、あのように「日本は子供の天国だ」と驚いていたかを、深く理解できるようになってくるんですね~。

そこで、日本とフランスの両方の文化の違いを理解する一環として、両方を比較してみましょう。

そこで、「幕末に来た外国人が日本は子供の天国で驚いた」というお話からはじめて、次は「里子が全盛期だったフランスの18世紀~19世紀編」の説明というように、交互に書いていこうと思っています。

ということで、まずは、今日は、「幕末に来た外国人が日本は子供の天国だと驚いた」前編からいくよ(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!

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大人と一緒に過ごす日本の子供たち

赤ちゃん時代からおんぶされて一緒に過ごす日本の子供たち

幕末を訪れて外国人の声を拾っていくと、日本では、乳母など他人の手で育てられているのは、お殿様か相当のお金持ちぐらいで、庶民は赤ん坊のころからずっと家族の手で育てられてる風景が見えてきます。

例えば1877年(明治10年)から3度にわたって日本を訪れたエドワード・シルベスター・モース。日本に来た初期に印象に残ったのは田植えしている風景。そこでは親も子も一緒になって働いていました。そして、その田んぼの周りには、働くまでの年代にはなっていない小さな子たちがその様子を眺めているのです。しかし驚いたことに、その子供たちは、「子どもが6人いれば5人まで、必ず赤坊を背負っている」

子供が、赤ん坊を背負って世話するのが普通の時代だったんですね。

1976年(明治9年)、宗教と文化への関心から来日したフランスの実業家エミール・エチエン・ギメも、横浜に降り立った時「出会う女性がすべて、老若の婦人も若い娘も、背中に子供をおぶっていること」におどろかされています。そして、そこにも赤ん坊を背負っていた子供もいたのです。

日本は、町でも農村地区でも、赤ん坊を家族の誰かがおんぶして、家族で子供を育ててきた様子がうかがえます

多分、この頃にはそんなことも意識はしていなかったでしょうが、赤ん坊の方も大人と一緒に移動できることは、常にいろいろなことを目にすることができ一番大事な時期に多くの刺激をもらえることになるため、知能の発達にも大きく貢献していたんじゃないですかね。

日本人の平均知能が高かったのは、こういうことも影響していたのかもしれません。

また、町では劇場に行くときも子供と一緒に楽しんでいたようです。

1874年(明治6年)から85年までいわゆるお傭い外国人として在日したドイツの採鉱冶金学者クルト・アドルフ・ネットーはこう書いています。「日本では、人間のいるところなら何処を向いても見ても、その中には必ず、子供も二、三人は混っている母親も、劇場を訪れるときなども、子供を家に残してゆこうとは思わない。もちろん、彼女はカンガルーの役割を拒否したりなどしない」。

今なら18禁になってそうなものまで、子供も連れて行っていたみたいですが、子供と大人の時間などわけないで、いつも一緒に過ごしてことがわかります。

こうして日本の子どもたちは、寺詣りにも花見にも、長旅の巡礼にさえ大人と一緒に出掛けたのです。

大人が遊ぶ時も子供と一緒に過ごす

日常の生活でも、日本の子供たちは大人と子供の区別を付けられ分けられることなく、いつも一緒にいるのが普通のようでした。

1878年(明治11年)に来た、イギリス人の旅行家イザベラ・バードが日光入町村で見た子どもたちは「両親とおなじようにおそくまで起きていて、親たちのすべての話の仲間に入っていた」ようです。

ラトガース大学で福井藩からの留学生だった日下部太郎と出会って、親交を結び、その縁から1871年(明治4年)に日本に来て福井藩の藩校明新館で教師をしていたウィリアム・グリフィスは「日本ほど子供の喜ぶ物を売るおもちゃ屋や縁日の多い国はない」と言っています。しかも、日本のおもちゃ屋は品数が豊富でどれもこれも巧みな発明が仕掛けてあって、カルタや羽子板、凧あげなども含め、大人も一緒になって遊んでいたのです。

子供がプラモデルで遊んでいる横で、親も一緒に作っているような世界が、日本には昔からあったんですね。どっちが大人か子供かわからないと言われながらも、大人用、子供用と区別されることなく同じものに熱中して一緒に遊んだのです。

グリフィスはこうも言ってます。子供の遊びの問題を研究すれば、「日本人が非常に愛情の深い父であり母であり、また非常におとなしくて無邪気な子供を持っていることに、他の何よりも大いに尊敬したくなってくる」

これは、今でも言われていますが、フランスなどヨーロッパで、非常におとなしくて無邪気な子供は珍しいです。こんな風に純粋に無邪気でそしておとなしく居れるっていうのは実は貴重。

また、日本の子供は、大人が食事などを楽しむ時に、別室に追いやられるようなこともありませんでした。

外国人宅で日本人が女中として働いていましたが、外国人の雇い主に言われて子供を違う部屋につれていくものの、すぐにフランス人の7歳の女の子は泣きわめきながら食堂に帰ってきたそうです。

うまくできない様子を見て神戸のフランス人の夫人は、「日本人は子供を怖がっていて服従させることができない。むしろ彼らは子供を大事にして見捨ててしまう」と言っていたのですが、

この女中さんは、もしかしたら「一緒に食事をとれなくて子供がかわいそう。なんて酷いことをするんだろう。」と思ったかもしれせんね。

でも、とにかく連れていけと言われたのでそれに従ったが、子供を服従させるなんて思ってもみなかったでしょう。この辺りには、かなり大きな文化の差がありそうです。

「幕末に来た外国人が日本は子供の天国だと驚いた」前編まとめ

以上のことをまとめると

・日本人は、子供が赤ちゃんの時から家族で世話をしてきた。
・子供も大人も、赤ちゃんをおんぶして一緒に行動した。
・また、出かける時も子供も大人も一緒に行った。
・食事も一緒に食べ、一緒に会話を楽しみ、遊びまで一緒にした。
・子供を服従させる習慣は、日本にはなかった。
なお、ここに出てくる幕末の人々の言葉は、とてもよくまとまっている本逝きし世の面影から全て引用したものです。ここでは一部しかご紹介しませんが、本には多くの分野について語られている幕末の外国人の言葉が非常によくまとまっており、本当に素晴らしい一冊なので一読をお勧めします♪
逝きし世の面影
渡辺 京二

幕末・明治の外国人訪日記を博捜・精査し、彼らの目に映った豊かな文明の諸相から近代日本が滅亡させたものの意味を問う。

でわでわ、また明日~(^^♪

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