はーい(^O^)/Ulalaです♪今日は、以前、杖ついて歩いていたフランス人のお爺さんが、今日は杖ついてなくてびっくりしました。
前回の記事の対の記事として、今回は謝罪を求める日本人についてです。
前回の記事で、
フランスをはじめとする西洋人は、謝罪することは罪を認めることになります。そのため、一切謝罪はせずに弁明し続けることを書いたのですが、
では、もしこの非常識な食事会が、日本で行われていたらどうだったでしょうか?
主催者もシェフも有名人です。
多分、マスコミに糾弾されたうえ、謝罪会見を行うことになっていたでしょう。
最近は、会見場の記者が謝罪している人にひどい罵倒をするので、国民もそういった謝罪会見にはあまりいい顔しなくなってきましたが、
しかし、それでも日本では謝罪することは重要とされています。
この点は、他の国と比べても日本の特異な点です。
では、なぜ日本では謝罪することが重要視されてきたのでしょうか?その理由を考えてみました。
日本人にとっての謝罪の意味
日本はなぜ謝罪が求められるのでしょうか?
何に対する謝罪なのでしょうか?
特に日本特有な2点に絞ってまとめてみました。
世間を騒がせたことへの謝罪
日本は、世間を騒がせた時は謝罪が必要です。なぜならルールを守らなかったからです。
でも、まず、世間とは一体何を指すのでしょうか?
google翻訳でフランス語や英語にすると、「Le monde」「The world」と、「世界」と同じ意味の単語がでてきます。
しかし実は、昔は多くの人が「世間」は外国語には訳せないものだとしてきました。日本の独特の感覚として、「世間」と言う言葉を研究したいろいろな本が存在しています。
ですが、「世間」と言う言葉も時代により変化し、その頃とは大分意味合いも変ってきています。
現代社会における世間は、「日本という文化と空間を共有している人々」と、もっと単純に言ってもいいかもしれません。
しかし、いずれにせよ「世間」では、和(調和)の思想が重視されます。
和は日本の特徴的な文化の一つです。
聖徳太子の手による「十七条の憲法」は西暦604年に公布されましたが、これは、日本国家として初めて道徳的規範を集成したものです。その第一条に「和を以て貴しとなす」と書かれていて、人々の和合を最重要視していることが確認できます。
和(調和)は、もう、こんな昔からすでにある日本的な道徳文化であり、国家永続のために知恵でもありました。
そして、和(調和)を乱すことは、日本の根底を崩すことでもあり、守らなくてはいけないルールとされてきたのです。
しかし、世間を騒がせることは、和(調和)を乱すことになります。よって、ルールを破ったことに対して謝罪しなければいけないのです。
そして、もう二度としないことを求めます。
法には反してなくても、人間としておかしいことへ謝罪
『日本人とユダヤ人』という本は、かなり大昔の本ですが、この本の中に興味深いことが書かれていました。
日本は、「人間として」という規則があって、それは「法」よりも重視される
と言う趣旨の記述です。なるほどです。
日本人は、そこまで「法」を重視していないのです。どちらかというと「人間としてどうか」と言う点を重視しています。
(日本人とひとくくりにしてしまうと、「僕はそんなことない」と言う人がでてくるでしょうが、近年は確かに多様な考え方が日本にも入ってきたため、そういった環境で育った人の中には、従来の日本人とは同じ考えを持っていない人たちも増えてきました。よって、ここで使う、日本人と言う言葉は、日本の文化思想を受け継いでいる人とします。)
よって、法には背いていなくても、理不尽なことをした人に対して、「例え法には触れてなくても、人間としておかしいだろ」という言葉を使います。
法に背いているのにもかかわらず、反省もしない人も「人間としておかしい」のです。
そして、西洋的に謝罪すると罪を認めることになるから謝罪しないとしても、日本人的にみれば「人間としておかしい」のです。
じゃあ、この「人間」とは何か?と考えてみると、『日本人とユダヤ人』では、「日本教」という宗教だと言っています。
日本独特の考え方を「日本教」と呼んでいるみたいですが、じゃあ、その「日本独特の考え方」は何か?と言いますと、
それは、
日本のベースである神道、あとから来た仏教(禅)、儒教、それらが全て混ざりあって生み出された思想、哲学、行動指針なのです。
私はこれを「日本的思想」と呼んでいます。
この、日本人は「日本的思想」に反する人を「人間としておかしい」と感じているのです。
「人間としておかしい」ことをした人は、「法」に関係なく、謝罪が求められるのです。
そして、謝罪することで反省して次回しないことを要求します。
今日のまとめ
今日は、日本人が求めている謝罪の理由2つについてまとめました。
ほんとはまだまだ書かなくてはいけないことはありますが、あまりにも長くなるので、二つだけにしました。
しかし、この二点は一番重要な日本の特異点ではないでしょうか?
西洋であれば謝罪すること=罪を認める意味のため、その罪に対する損害補償を要求されますが、日本はそんな損害補償にはあまり感心はありません。
組織同士の損なわれた関係を修復すること、あるいは損失を与えた個人とかく乱された社会秩序との間の関係を修復することを重要としているだけなのです。
そのため、「ルール違反した人」や「人間としておかしい人」に謝罪を求めた上、今後しないように反省することを求めるのです。
みなさまのお考えがありましたらぜひお聞かせください。
それでは、また明日(^^♪
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日本の謝罪の意味が理解できるようになると、なぜ、小室圭さんが多くの日本人から反感されるのかがわかってきます。
異文化の違いから、このことを説明してみました。
異文化の違いを理解することの大切さを理解することは、今後、増えてくる外国人に対応したり、海外に行くときの心がまえとして大切になってくる概念です。
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